下呂温泉私設案内板

2000x年のホームページ
「風が吹けば桶屋が儲かる」

−目次−
  1. まえがき

  2. ホームページのめざすもの

  3. 政治・社会
    ●情報公開とインターネット
    ●組合活動とインターネット
    ●民主主義とインターネット
    ●郵便とインターネット

  4. 産業・商業
    ●テレビとインターネット
    ●ネットワークベースの通信販売とインターネット
    ●カタログベースの通信販売とインターネット
    ●大手パソコン通信とインターネット(共存予想)
    ●大手パソコン通信とインターネット(終焉予想)
    ●技能伝承とインターネット
    ●営業マンとインターネット
    ●ソフトウエア流通とインターネット

  5. 家庭・生活・文化
    ●本とインターネット
    ●新聞とインターネット
    ●在宅勤務とインターネット
    ●雑誌広告とインターネット
    ●チラシ広告とインターネット
    ●恋愛とインターネット
    ●妊娠とインターネット
    ●教育とインターネット
    ●健康とインターネット
    ●保険とインターネット
    ●給料とインターネット
    ●キーボードとインターネット
    ●介護サービス・在宅医療とインターネット
    ●句会とインターネット
    ●法律相談とインターネット
    ●健康とインターネット
    ●本人確認の技術
    ●文化事業

  6. その他

  7. まとめ−ブラウザーの実現すべき機能−

  8. あとがき


  1. まえがき
    「風が吹けば桶屋が儲かる」ではありませんが、インターネットという通信が普及するに連れ、新たな商売やサービス、考え方が生じ、それによって社会構造が変化するまでになっています。ここ1年間に現れた変化を振り返るだけでも、今後の変化がいかに大きなものになるかを暗示するのに多すぎるほどです。ただ、1996年の段階でWEBの上で行われていることは、実用化というよりも実験の色合いが濃いものといえるでしょう。今後、PCの普及とネットワーク使用コストの低減がうまく行き、使いやすく親しみやすいものになってゆく限りにおいては、実験から実用化へ向けて順調に滑り出すといえるかもしれません。しかし、諸条件がそろわない場合、実験期間が長期化し船から降りる人が出てくることも考えられます。つまり、個人の加入者が興味を失い新しい加入も増えず、結果的にインターネットで商売はできないという風評が起こったとき、次々にサービスが減少していくのではないか。これはインターネットにとって最悪のシナリオでしょう。面白くない、実用に耐えない、商売に使えない、儲からないならば、個人も企業もこれにかかるコストを切ろうと決意しかねない。どうもこのシナリオの可能性もそう低くはないように思われるのですが・・・
    しかし、ここでは悪い方のシナリオは考えないことにします。結果的に大きな変化が起きなかった世界は仮定しません。大きな変化が起こる世界、計り知れない変化が待ち受けている世界と仮定し、その変化を推測したいと思います。さらに、この推測=フィクションを通して、インターネット時代の精神性というようなものを考えてみようと思います。

    さて、昨今大企業はもとより中小企業、個人企業にいたるまで、ホームページ公開が花盛り。ホームページを単に公開するのは別段大したことではなくなってしまいました。ただし、見栄えの充実と内容の充実は必ずしも一致しないことに気づいたネットサーファーたちは、少し熱からさめてきたようにもみえます。
    このホームページなるものはホームページの著者が書いた単なる情報を取り扱うだけではなく、ものとしての商品も取り扱います。つまり、情報だけあっても商売にはならず、商品自体を作る人がいなくてはならないということです。「商品の担当者は誰だ?」ということではなく、商品製造に携わっているのは、今後の日本において「誰だ? 」ということです。やはり、ものを作る産業は情報産業全盛となる時代においても力強さを維持していかなくてはならないということです。
    情報産業に関わる人口が増えるということは、人件費のさらなる上昇を意味し、製造業が消滅する原因の一つとなるのでしょうか。情報産業に比べスマートでない製造業に関わる人たちが減り、ついには日本から製造業はなくなってしまうのでしょうか。製造業が存在しない国というものが成り立つことは可能なのでしょうか。ものをもう作らないと日本が宣言するなら、ものというものすべてを海外から輸入して賄うほどの収入、つまり大量で高品質の情報を輸出できる情報産業が日本で成長するでしょうか。大袈裟に考えればこういうことなのです。インターネット普及の末に、日本はどのような国として生き長らえるのでしょうか。
    しかし、一旦歩きはじめたインターネット普及は止められないものであり、この問題は日本が自国の将来像を描きながら真剣に考えなくてはならないと思います。明るい未来ばかりでもなさそうなことは容易に想像できても、まだ、新しいテクノロジーの出現に酔っている現状であって、実際にマイナス面が浮き彫りになり、それを冷静に見ようとする時期はこれからでしょう。
    人間は頭に思い浮かべることをほとんど実現してきました。「脳化」という言葉で養老孟司氏が述べておられます。海を埋め立てて工場を作り、人工知能を開発し、ロケットで月にまで到達しました。そして、ここ数年で世界中の一般市民を通信回線で結んでしまうインターネットが出現するに至り、この驚嘆すべき技術によって、世界中の国や企業ははいうに及ばず、一般市民の家庭までが大きな波に洗われようとしています。たとえ長距離電話会社がインターネットによる電話を禁止すべきだと訴えても、技術が可能にすることは実現されるに違いなく、それを使う消費者や商品として販売している企業の方がその技術に自らを適応させていくことが前進的、建設的であるといえます。普及が拡大するにつれ、予想できない新たな波がどこからか打ち寄せるといった連続になるでしょう。インターネットはそうした速度で普及し、普及につれて拡大する関連産業は、この重要なインフラを更に高機能にすべく技術を磨いていくことでしょう。
    ここではそうした時期を前に、これから起こりうる事柄とわれわれがどのように対応していくかについて、無責任かつ大胆に述べていこうと思います。人が考えたことは実現されて行くという原理に従えば、本書中のフィクションは現実となる可能性があるかもしれません。



  2. ホームページのめざすもの

    今年は200x年。
    今ホームページが目指すものとはなんであろうか。1996年にはホームページは何かを目指す必要はなかった。しかし、今ではページの公開がある意味で資源を消費しているのであるから、効率化がインターネットの至上命題とするならば、そこには必ず効率化を実現する前向きな目指すものがなくてはならないとされている。ここで前向きというのは、善意の効率化をすべきであって悪意を効率化することではないといっておこう。しかし、なにが善意と悪意の判断は個々の内側の問題なので、そこからはモラルの問題になる。基本的にインターネットは、良しにつけ悪しきにつけ個人のモラルが支えるシステムであることはインターネットの創生期と変わりがない。

    いつの時代も人間の欲望は気が短い。できるだけ短い時間内で、目的の情報あるいは商品を得たいと考える。インターネットの便利さを体験した人間は、更にその傾向を強める。

    例えばこんな体験である。
    図書館のホームページを利用すれば、図書館まで移動することなく、文献を閲覧することができる。今回は「夏目漱石」というキーワードで関連する書籍をピックアップした。結果が出るまでに5秒。画面には数百アイテムが表示されている。更に絞り込むために他のキーワードや、出版時期を入力して検索。10アイテムに絞られた。これでこの図書館の蔵書のどれを閲覧すればよいのかがわかる。相当厚い本でも全内容を数秒で取り込める。図書館のサーバーに組み込んである人工知能システムを使えば、探したいテーマを自動的に判断してくれる。例えば、「『Aは彼の晩年の最も重要なテーマであった。』という論に反対する部分が記述されている個所をけんさくせよ」と入力すると、その個所が1分足らずで検索される。これまで問題の個所が何処にあるかを探すために、研究者は多くの時間を割いていたが、これがほとんどゼロに近づくのである。

    さらに速く高度な人工知能システムを設備した図書館では、「日本で12月に咲く花の写真を検索せよ」と入力すると、全蔵書から該当するものをピックアップすることができるのである。図書館全体がひとつの百科事典、知識の塊と化したといえる。

    それでも、これだけの調べものをして、かかった費用はただみたいなものだ。199x年から始まった家庭向け専用線サービスに加入していれば、ISDN128kbpsで電話代は月にx000円の定額だ。プロバイダーへの支払は月に2000円程度である。図書館までの往復10分のガソリン代を節約し、カードをぱらぱらと探す手間もいらず、また目的の部分を探すためだけに本そのものを初めから終わりまで読む数時間を節約した。つまり今まで数時間とガソリン代が必要だった行為が、わずか数秒で可能になった。


    昔は隣町で安売りがあると、地下鉄に乗って駅から徒歩で5分のところにあるスーパーで買っていた。今では隣の県の安売り店がホームページで超破格値の通信販売を開始したため、これを利用するようになった。720円の送料はかかるが、なんやかやで1時間かけて自ら買いに行く時間と手間を節約できると考えたら、在宅勤務や勉強に1時間使った方が効率的だ。しかし、出歩くことが少なくなった生活習慣のお陰で、足腰が弱くなったなあ。これではいかん、ということで近くのプールには毎日通っている。これは最近のブームで健康産業の株価もずいぶん値上がりした。
    体が不自由な人にとっても、便利になったものだ。ハンデをあまり感じることなく充実した生活を送ることができる。超高齢化社会に移行する日本の社会に必要なものの一つとしてケータリング・サービスが評価され、そのサービスのおかげで病人や体の不自由な人の生活の質は格段に上がっている。インターネットの普及でケータリング・サービスは新しい大きなマーケットに育った。


  3. 政治・社会

    ●情報公開とインターネット
    200x年、政府と自治体は重い腰を上げて情報公開をはじめた。紙で保存されていた資料を電子化するところから仕事ははじまる。官僚たちにとっては、入力とチェックの手間が膨大だ。しかし、「今やらなければいつやるのだ」という総理大臣の大号令が作りだした流れは本物らしい。21世紀も先進国たりうるためにはこれが必要条件であると、この内閣は認識している。行政の処理スピードが国の先進度を表す指標になる時代だ。


    ●組合活動とインターネット
    199x年頃から労働組合もホームページを持つようになった。しかし、それによって組合としての求心力が高まったかというとそうではなかった。在宅勤務者の割合が高くなり、労働者は家庭生活を重要視するようになった。組合からの電子メールは一応目を通すし、投票なども忘れずにするのだが、個の生活を好む性向が強いこの時代の人たちは、いつ退職するかもしれない企業の組合には正直いってあまり興味がないのである。
    組合活動は摸索している。


    ●民主主義とインターネット
    200x年ころには、インターネットを使った選挙が行なわれるかもしれない。投票する側にとっては自宅に居ながらにして投票できることになり、投票率のアップにつながるだろう。現行の投票方法を踏襲したネットワーク投票ならば、選挙管理委員会側はこの投票は確かに本人だと確認し、かつ無記名的な扱いを可能にするシステムを確立する必要がある。本人確認の点では、メールヘッダーのアドレスのほかに、事前に選挙民にメールした暗証番号などを使うなどして本人の投票であることを証明する方法を確立しなくてはならない。このあたりはXXXというブラウザーが来年には標準仕様として盛り込むらしい。サーバー側システムも開発中という。
    また、同時に無記名的な扱いが必要となるが、いったん本人であることが証明された時点で、これから選挙管理委員会のサーバーに取り込まれる投票内容にスクランブルをかけるなどして誰の投票かがわからないように処理しなくてはならない。この一連の処理の間に盗聴されないような暗号化の処理は当然であろう。しかし、筆跡も残らないこのシステムにおいて後々の証明を行なうことは非常に困難になるかもしれない。(今後、本人確認システムとして指紋や虹彩などの認識技術が実用化され、システムが小型化低価格化することで様々なシステムの基本となる可能性がある。)
    これまでたびたび選挙管理委員会が不正を行なうといった行為が報じられてきたが、国のサーバーが一括して選挙の集計を行なうようになれば、このような不祥事は防止できるだろう。
    投票後の集計は非常に簡単で素早く選挙結果を知ることができる。
    選挙期間中の政党のメールボックスには、支持者からも不支持者からも大量のメールが届いているが、中身を見ているのだろうか。


    ●郵便とインターネット
    電子メールによって従来郵便にかかっていたコストは削減された。郵便を投函し、配送し、受け取り、開封し、読む、という一連のコストが削減されたのだ。
    従来郵便を出すためには、企業ならば課の事務員を配置する必要があり、切手と何種類もの大きさの社名入り封筒を備えておかなくてはならなかった。電子メールではあらかじめ各個人に用意された端末さえあれば投函できる。この端末は電子メールのほかにも企業内のネットワークからデータベースに接続できたり、表計算やワープロといった多くの機能を持っているので、単純に電子メール関連で使用する時間が一日のうちの20%として、端末が1台40万円でそのうちの20%は8万円、これを5年で償却するので、年間1万6千円すなわち月1,333円。

    従来の配送には郵便や本支店間の専用車、宅急便などを使っていた。郵便には小さな郵便物でも80円という高いコストがかかる。本支店間の大量のメールには専用の配送車と運転手、それに付随してガソリン、車庫、車検費用、損害保険も必要だ。遠隔地への急ぎのメールには、宅急便を使わなくてはならない。宅急便業者が引き取りに来る時間は大丈夫か。その時間によっては明日の朝一で先方に届かないかもしれない。これらはいわばいらぬストレスで、このために他の仕事の能率が削られてしまうことになる。投函と配送に関わるコストだけでこれだけある。

    電話をかけて相手が不在のときの伝言。隣の席の課員がメモを書いて、本人の席の上に置いておくのが従来のシステム。電子メールが普及した世界では、電話をかけるということが非常に生々しいコミュニケーションであるという位置づけになり、ちょっとした伝言はすべて電子メール化される。199x年頃から急速に普及したポケベルでは、女子高校生がこれを使って「ナニシテル?」「オヤスミ」というようなどうでもいいと思えるコミュニケーションを頻繁にしており、これは表面的な関係であることのある種の不安を解消するために確認をするための行動だといわれる。電子メールにもこの傾向があるので、無駄なトラフィックを増やさないようにしようという標語を、どの企業も掲げている。
    電子メール普及の結果、一人のメールボックスには一日で何百通ものメールが溜まる。読んだり捨てたりする手間も結構なものになる。今までは不在が幸いして聞かないで済ませていたことも、聞いていないでは済まない。今までは役員名が書いてあればびくっとして机の少し目立つ位置に置き直した伝言が、電子メールの郵便受けフォルダーの中では、おなじテキストの山の中で似た字もあるために、誤って削除したり開封を後回しにしてしまうこともある。
    記録性が優れているだけに、責任の追及がしやすく、ひいては個人個人の責任感を高めるというメリットはある。しかし、これも個人の常識がどのように形作られるかにかかっているので、電子メール万能と思わない方がよいだろう。
    低いモラルによって使われる場合、他人の中傷や噂、怪文書めいたものは非常に早く広い地域に伝播するだろうし、その影響は小さくないだろう。この様なことが起き始めると、「利用者のモラルを信じるしかない」とか「何らかの規制を設けるべきだ」という議論になり、法律改正などが行われることもあろう。犯罪の温床となる可能性もあるので、いわばネットワークの警察というような監視組織が200x年には置かれるというが、検閲議論も沸き起こっている。


  4. 産業・商業
    ●テレビとインターネット
    一つの画面でテレビ画像を文字放送を同時に見ることができるテレビが市場に出たのは、199X年のことだった。数年後にはコンピューター用ディスプレイとしても使えるものが発売された。そして、さらに数年後、通信回線の高帯域化、回線使用料の大幅な低下、半導体の処理速度の高速化、画像圧縮技術の進化などの技術革新によって、動画の送受信においてもテレビと比べてまったく遜色ないところまできた。インターネットは双方向性を持ったテレビになり、その機能はインターテレビと呼ばれる。
    インターテレビでのニュース配信を早い時期から本格的に行ったC○Nが、日本語ニュースも流しはじめた。日本語は一部機械翻訳によるものなので、聞き辛い、見辛い点もあるが、概ね良好な翻訳になっている。日本のテレビ局は足を生かした報道で、アメリカ本社のC○Nにはまさるが、数年後にC○Nは本格的に日本市場参入を目論んでいるという。インターテレビでの方法論に一日の長のあるアメリカテレビ局が、日本市場でどのような新しい手法を見せてくれるのだろうか。
    テレビショッピングではインターテレビの機能を使い、ブラウザーから直接注文ができるようになった。テレビで紹介されている商品をクリックすると、細かな仕様の説明が現われ、発注ボタンを押すと発注フォームが開く。クレジットで何回払いにするかも指定できる。ここで心配になった場合は、これまでに自分が買ったもので未払いの物件がどれかをチェックすることもできる。テレビショッピング・マニアの間では必須のチェック・ツールだ。このあたりの機能も、そのうちにブラウザーの標準仕様となるだろう。
    番組プレゼントのボタンは、これを押すだけで指定のフォームを表示してくれる。毎週の当選者確認も容易だ。


    ●ネットワークベースの通信販売とインターネット
    ネットワークベースの通信販売分野ではすでに実績が出てきている。インターネットの普及もかなり進んだためだ。
    数年前までは懐疑的な見方もあった。本当に普及し、その結果、家庭の端末は商品の発注のために頻繁に使われるだろうか。品揃えが豊富で安価で発注から決済まで安全で簡単という具合になるのだろうか。
    決済方法については様々な電子マネーがシェアを分け合っているが、事実上の標準を獲得するための競争は続いている。多くのブラウザーのもつ暗号化機能は、新しい技術によって不安が払拭されつつある。しかし、まだこれだという決定打は市場に現われていない。今後、決済方法の標準化が進むことで、顧客も安心して買い物ができ、売上げは伸びることになろう。ここで売上が伸びるという意味は、通信販売の占める割合が上昇し、儲ける人も出てくるという程度の意味であり、決して日本の経済が右肩上がりになることを意味しない。ただ、産業構造が変化することは確実である。
    日本人の多くはまだワープロすら十分使いこなせないし、通信の設定をすらすら行える人に至っては、ますます少ないのが現状だ。日本において通信販売の売上はコンピューター・リテラシーの向上と同期するのかもしれない。それとも、任天堂を生み出したコンピューターゲーム好きな国民であるのだから、あっというまに慣れ親しむのだろうか。


    ●カタログベースの通信販売とインターネット
    1990年代のカタログ通信販売はこうだ。買い手はまず雑誌などに掲載されている広告を見、カタログを請求することから始まる。電話をかけたりカタログ送付請求書を投函する必要がある。これからカタログが送り付けられるまで1週間なり待つ。待ちに待ったカタログの到着。ゆっくりと時間をかけてカタログを眺め、欲しい商品にペンで印をつける。仮に印をつけたもの全部を買った場合の合計をシミュレーションしてみる。大きな金額になるので、商品を削っていく。最後に残った数点について、吟味し、注文書を書き投函あるいは電話、ファックスする。商品が届くまでに1週間ほど待つことになる。
    同じ頃、ホームページに紹介されていた商品数は大手通信販売のサイトでも貧弱であった。紙のカタログベースではホームページのように画質を圧縮によって落とす必要もないので、写真の色の再現性もよいし、商品の細部まで認識できる。画質を落とされたホームページ上の画像はモニターの性能によって色の再現性にも差が出てくるし、大きな画像を貼れないので細部まで認識することは困難であった。この点では紙のカタログに大きく及ばなかったのだ。
    現在のブラウザーあるいはHTMLが機能的に進化した部分は、こうした通信販売のカタログの使い勝手を忠実にホームページ上で再現することを可能にした。別のページの商品との比較や、気に入った商品にマーカーで印をつけるといった顧客の行動様式を、ホームページ上で再現できる。紙のカタログを閲覧するのとほとんど変わらないかそれ以上のハンドリングの良さだと感じられるほどだ。商品の機能を動画でプレゼンテーションすることもできるので、広告媒体としては非常に強力である。


    ●大手パソコン通信とインターネット(共存予想)
    インターネットが大手パソコン通信を取り込んでしまうのか。まだそんな事態は起こっていない。なぜなら、すでに数千万人の日本人が参加している大手パソコン通信の会議室には、質的には高度なものから初心者向けまでの広いレンジのものが存在するし、日本語の記事では量的にもインターネットのネットニューズより格段に充実しているからだ。とっつきやすさでもパソコン通信が優る。そして世の中にはインターネットのレベルを必要としていない層も多いのである。ホームページを使わないなら、インターネットまでは必要ないよ、という人は多いに違いない。しかし、企業はここぞとばかりに、インターネットを生活に密着したインフラとして活用してもらおうと意気込んでいる。そうした意気込みとは裏腹に、今でも銀行の現金自動支払機を満足に使えない人がいることからも容易に想像できるのだが、インターネットを自分のものにしようと思わないし、そんなこととてもできないよという層の気持ちを変える方法を企業は見つけなくてはならないだろう。コンピューター・リテラシーという言葉があるが、この能力を伸ばした国とそうでない国の差がはっきりと出てくるのが21世紀だ。自然にインターネットを使いたくなるような魅力を付与することが重要だ。電子レンジのような普遍的な便利さをインターネットに感じるような時代がくるなら、世界に追いついていく条件がクリアできたといえそうだ。急速に変化をしながら普及しているこの文化に、追い立てられて気持ちが落ち着く暇がないのだが、遅れないでついていくことが基本的に重要であろう。ネットサーフブームが一段落し、「パソコン通信の方が日本語でわかりやすいし、俺はこれでいいや」と思う人も出てきた。まだパソコン通信の存在意義は低下していないし、インターネットと十分共存している。


    ●大手パソコン通信とインターネット(終焉予想)
    今でも大手パソコン通信上の通信販売はあるにはある。しかし、キャラクタベースの通信がほとんどであり、商品の画像をデザインされたレイアウト通りに表示することができないなど、ホームページに比べて弱点が多いため、急速に自前のホームページに移っている。
    ホームページでは注文用のフォームを埋めていくだけでよいが、パソコン通信ではいちいち電子メールを書く必要がある。お客は電子メールを書く忍耐を持たなくなってきているのではないだろうか。フォームでの注文に要するストレスは非常に少ないし、画像が表示できるということは、それだけで非常に豊富な情報を買い手に対して提示できており、せっかちな客は商品説明をまったく読まなくても発注が可能である。パソコン通信では文字を読むことが商品の情報を得る最初の手段なのだ。この点は客を得るか逃すかに大きな影響を及ぼしている。重要なのは客が欲しいと感じた瞬間から発注するまでの時間差を極力短くすることである。日本語のネットニューズが200x年1月現在8000に発達した今日、大手パソコン通信は役目を終えつつあるのだろうか?


    ●技能伝承とインターネット
    ネットワーク自体は今日、どんな情報でも蓄積できる巨大なデータベースとなった。
    とはいえこれまで蓄積されてこなかったものもある。職人たちの技がそのひとつだ。技は弟子に伝えられはするものの、弟子が廃業することで途絶えた例は多い。そんな中で政府が構築した「技能伝承センター」は、世界的にも画期的なコンセプトとして今年のインターネット・アワードを受賞した。人の生命が消え、同時に消える技である。花開いたにちがいない技術も、伝承されていないために、もう甦らせる手立てがない。こんな現状を愁いた職人集団がデータベース構築に取りかかった。これを政府が全国規模のセンターに引継いだのである。アワード受賞の理由は、これを使って技能伝承が実際に行われた実績に対して。もう一つは、職人集団と政府の共同作業という自由な企画性にであった。
    これまで共有化を拒んできた職人たちの技術であるが、今職人たちの目は共有化による新しい技術の創造に対して向けられている。


    ●営業マンとインターネット
    200X年の営業マンには無線携帯情報端末が必需品となっている。携帯電話かつノートパソコンかつFAXという多機能ぶりだが、紙の使用を自主的に削減する企業が増えたため、FAX機能の使用頻度はゼロらしい。電子メールで済ますのが常識ということなのだろう。高速の無線電送が可能になったが、飛び交う電波が電送エラーの原因になっているとの指摘もある。こういう営業マンが町中にうじゃうじゃいるのだから、携帯端末の放つ有害電波の量もうなぎ上りという訳である。営業マン向けに開発されたこの端末は、価格が下がったために一般の需要も出てきた。
    しかし、思わぬところで問題が顕わになった。病院では普通の携帯電話に加えて、このような端末の出す有害電波により、医療機器の機能障害が発生しているというのだ。事実、このような機器の障害によって、先週もA病院の患者Bさんは死亡したといわれている。しかし、まだ原因は調査中だ。この場合、誰が責任を負うのだろうか。有害電波を防ぐ対策については、法制度が未だ整っていないので、医療機器メーカーも病院も責任を回避したいところだ。携帯電話の使用を院内で禁止しているという注意は、定期的に院内で放送しているという。
    そこで、こうした有害電波をバリヤする材料が注目を浴びはじめた。軍事用に開発された技術などがこの方面に転用されたらしい。壁材をはじめ、電子機器の筐体、電子部品のコーティング材、道路の表面などいたるところへの用途があるとされる。この新材料で覆われた製品が普及して、旧型機がなくならないと電送エラーは減らないだろう。
    政府はこうした電波が引き起こす障害を見越して対応すべきだったという議論が来週からの国会で行われる。
    こうした端末を持った営業マンは、使う場所に要注意だ。

    さて、宇宙ステーション内の営業所に単身赴任した営業マンA氏も、家族との連絡に地球で使っていたと同じ携帯端末を使って連絡を取り合っている。宇宙用の電源アダプターは高かったが、便利さを考えれば安いものだ。宇宙ステーション内では紙を使う量が厳しく制限されており、本社から資料を紙の形で持ち込むことはできなかった。プリントアウトはできないので、すべてコンピューターの画面上で処理しなくてはならない。この点で今のアプリケーションは操作性が悪すぎるので、本社宛てに改修提案をメールした。


    ●ソフトウエア流通とインターネット
    199X年でもネット○○○ブラウザーをftpから入手した人は大勢いたが、現在ではほとんどのソフトウエアが商品としてネットワーク上を流れている。ソフトウエアのみならずニュース記事もそうだ。シェアウエアに代金を払い込んだり、ニュース配信の申し込みをホームページの画面上で行うことは特別なことではない。CD−ROMで配布されたサンプル版で、代金を払いこんでネットワークから登録番号をもらうと、正式版として動作するようになる、というのは一世代前のやり方になった。今では、ネットワークからファイルだけ購入するので、無駄なパッケージを買い込んで、不要な厚いマニュアルをゴミ収集に回すこともないし、CD−ROMのごみにも悩まない。フロッピーの山は大昔の話に感じられる。マニュアルはほしい人だけに売るという方法が採られた時期もあったが、資源の無駄使いに気を配る企業は、すべてのマニュアルを画面上で見られるヘルプ・ファイルの形にした。ソフトウエアに箱のあった時代が懐かしい。回線使用料が格段に安くなったので、大きなソフトでもダウンロードして買うという流通経路が生まれたのだ。ソフトウエアは店頭で買うものではなくなった。
    バグが発見されると、ユーザー登録されている顧客のメールボックスには、バグ・フィックス版をダウンロードする方法についての案内状が届いている。これまでのようにパソコン通信でバグ・フィックス版に関する情報を収集する必要はない。ソフトウエアハウスは、ダイレクトメールを電子メール化することで相当のコスト削減を実現した。
    1995年のあるソフトウエアの発売日、店頭には黒山の人だかりがあった。しかし、これからは発売日になると、人はネットワーク上のダウンロード・サイトに集中する。話中をを回避するために、地方ごととか会員番号ごとにダウンロードポイントを割り振って、そこからでないとダウンロード出来ないような仕組みになっている。回線料金が安くなって一般市民も専用線接続が出来るようになったので、ソフトウエアハウス側から予告した時間に電子メールのかたちで顧客のコンピューターにソフトウエアを送りつけることも可能になった。しかし、これでは通信量が莫大なものとなるという予測がある。
    そこで考えられているのは、スイート・ソフトウエアを丸ごと買うのではいらない機能が多すぎるから、必要なモジュールだけ買うというやり方である。必要なモジュールだけをインストールするという考え方は、OSの肥大化によって圧迫されているメモリーなどハードウエア資源を効率的に配分する意味からも、主流になるだろう。この観点からソフトウエアのコンパクト化が進めば、ハードウエア性能の向上とあいまって、安価・高速でかつインストールが簡単、余分な機能がないから操作も覚え易いというコンピューターが生れる。そうなれば一般家庭での利用率も高まるというわけだ。また、そういうコンセプトで開発されなければ、いつまでも人口のXXパーセント相手の市場から拡大することはないという危機感がソフトハウスにはある。21世紀にとってのコンピューターは、20世紀における電話となるべきなのだ。


  5. 家庭・生活・文化
    ●本とインターネット
    1995年ころからソフトウエアを書き込んだCD−ROMをメインにした出版物が、書店に並ぶようになった。それより以前には、文学作品のマルチメディア化の先駆けとして、俳優の朗読したテープ録音が発売されている。ある大学の図書館に紙の本として保存されてきたもののほとんどは、200x年には電子化された。

    地方の図書館でも蔵書の電子化が進んでいる。出版社はこの動向に相当反対したが、紙の大量消費を防ぐ法律が日本でも制定され、出版業界は大きな変革期を迎えている。図書館は今までの古い蔵書については、従来どおり保管する機能を図書館は持ち続ける。しかし、特殊な用途を除いてほとんどの新刊書は、電子化されて出版されるようになった。読者はネット上でカード決済により電子データとしての本を買う。図書館は同じく電子化された本を購入し蔵書とする。本を購入しないで図書館を利用する人は、新刊の場合数ヶ月遅れで電子化され蔵書となる。新刊で人気のある本でも貸し出し中で待たなくてはならないといったことは皆無だ。まあ、ダウンロードが集中して混むことはあるだろうが、いつでも新刊を閲覧することができる。全国の図書館は電子の図書館として、高度な検索機能、たとえば館内の蔵書すべての全文検索を瞬時に行ない、見つけたいキーワードを簡単に時間をかけることなく見つけるという画期的なサービスを提供することが望まれている。電子図書館の登場によって、図書館というものの存在意義が再評価されている。しかして、出版社はこのような図書館の蔵書と機能によって売上げを落としているのだろうか。そうでもないという話も聞く。読者が新刊を読みたいという欲望は、数ヶ月先の入庫を待てないらしい。出版社は電子図書館向けの販売価格を高めに調整しているらしい。
    電子化による出版社側のメリットとしては、出版にかかる膨大な紙の消費をゼロにすることができ、重い本を地方に配送するコストもゼロにできたことだ。うまく移行した出版社の利益体質はむしろ良くなっている。問題は違法コピーの流通である。出版社が電子本を個人に販売する際には、購入した本人しか中身を閲覧できないような工夫がされている。図書館の蔵書を閲覧するときには、図書館に登録したパスワードを入力している。図書館で閲覧した本の内容は、自分のコンピュータ内にコピーすることができないような細工がブラウザーに施されているのだ。この機能を持ったブラウザーしか図書館にアクセスすることはできなくなっている。ネット○○○ブラウザーは版を重ね、2001年4月段階では23.0a版。
    出版社として究極的に目指すのは、本の閲覧回数によって図書館に課金するシステムらしい。電子化された図書館では利用者から僅かずつ利用料をとっており、出版社からの課金の支払いにはこれを当てている。著者が受け取る印税は閲覧された回数に応じて支払われる。しかし出版社は編集雑誌の出版のみに縮小しつつあり、本の著者は自分のホームページで電子化された著作の販売を行なうのが最新のやり方だ。昔の本は1冊1,500円もしたが、紙も印刷コストもかかっていないので、500円と安い価格設定がされている。それでも、まだまだホームページを作れない著者も多く、印税管理ソフトの設定も面倒なので、出版社経由の出版にして、印税の管理を任せている人も多い。すべての出版物が電子化されつつある今では、読者と出版社、あるいは読者と著者が直接つながれ、本の問屋や小さな本屋は存続する余地がなくなってきた。今盛んに言われているのは、紙ベースの本の閲覧性の良さと、紙でなくては出来ない新たなメリットを付与した本の開発である。
    乳幼児向けの本や視力障害者向けの点字の本などは、やはり紙でなくてはならないということで流通している。点字については高機能な点字ディスプレイが開発されたのでいいのだが、乳幼児の発育を早めてキーボードに慣れさせるわけにはいかないだろう。
    一般的な図書館では膨大な古文書、影印本などもファイルにすると巨大になるので電子化が躊躇われている。グラフィック主体の本もそうだ。しかし、ファイルの大きさは今後ディスクの読出速度や通信速度の高速化とファイル圧縮技術の進化によってネックではなくなるといわれる。
    本の出版によって、著者と出版社、デザイン会社、印刷会社、製紙会社、インク会社、本の問屋、本屋が利益を得ていた。この業界に及ぶ影響は大きいが、電子化は中断されないだろう。後追いの日本的体質のために、この判断においてもアメリカより2年遅れた。アメリカでは1995年に議会内の紙の使用を削減する法律が制定されたのだ。それが敷延されて本の電子化の動きが進んだ。今ではほとんどの図書館ではすべての蔵書が電子化されて閲覧可能な状態になっている。コスト対効果、利用が集中したときのパフォーマンスは今のところ評価中である。距離が意味を持たなくなるインターネットの世界であることを考えると、このような図書館が数カ所あればその他の図書館は不必要な存在ともいえそうだが、トラフィックの分散の意味からはそうでもないらしい。出版社はデータファイルの形で数カ所の図書館にアップロードすれば納品が完了するということのようだ。
    だが、やはり電子出版物が逆立ちしても及ばないのは、紙ベースの出版物の閲覧性の高さである。なんの気なくパラパラと眺めるときには、画面をクリックする必要がなくストレスは少ない。横になって眺めることもできるし、疲れていれば本を抱えたまま居眠りすることもできる。便意を催せばそのまま用を足しながら読み続けることも可能だ。気に入った部分には付箋を挟んでおけば、いちいちマシンの電源を投入する必要なしに、素早く簡単にページに戻ることができるし、好きな色のラインマーカーで傍線を引ける。印刷しなくても最悪はページを破ってポケットに入れ持ち歩ける。出先で眺めるときにも電源は不要である。充電池の容量を気にしながらキーを打つなどといった余計なストレスはない。
    人は紙を節約するためといえ、電子本の不便さに耐えることができるだろうか。総合的なコストの削減という原則に、人間の方はうまく従って動いてゆくのだろうか。楽な方へ行きたい衝動、快楽原則がやはり最上位にあって、消えることがないのではないか。それとも、そんな快楽を禁止するために、紙使用に関して厳しい罰則を含んだ法律が施行されるのか。
    文学研究にも電子図書館は大きく影響した。今のところ研究成果などがホームページ上で公開されている例は少ない。1990年代は文学研究者がコンピューターとは無縁だったので、電子図書館を活用した研究が進まなかった。研究の効率化や新しい研究手法を導入するためには、文献自体を電子データ化する道は避けられないと唱えられはじめたのも遅かった。確かに研究が原本や原本に近いテキストを見ることでしか成り立たない分野もあるために、なかなか進まなかったのだ。しかし、今や電子図書館でキーワード検索をすれば、取りこぼしがないので、質の高い研究成果を出せるようになったと評判である。近頃は検索機能が豊富で早い図書館のある大学が、受験生の人気トップである。遊ぶための大学から、勉強するための大学に受験生もシフトしてきた。


    ●新聞とインターネット
    199X年頃から大手新聞もインターネットのホームページ上で記事情報を提供するようになった。当初は無料で提供されていたが、200X年、ほとんど紙の新聞と変わりない内容を提供するに至り、紙の新聞の10分の1で提供されるようになった。紙の新聞からこのオンライン新聞に切換えた人の割合は、契約者の40%にまで伸びている。低価格な面が受けているようだ。しかし、ある家庭では15インチディスプレイ、またある家庭では17インチといった具合で、閲覧性に差があるため15インチユーザーの契約率は若干低いという。10インチ程度のディスプレイを装備する携帯端末のユーザーは統計で、トイレで新聞を読むことが多いという結果が出たが、スクロールボタンをいつも押していなくてはならないので、落着かないという。
    そこで、自動表示モードがあるブラウザーが開発された。1面から順番に、とか、興味のあるキーワードを含んだ記事だけ、とか、スポーツ関連だけというような指定をしておくと、それにあわせて順次ページをめくってくれる。めくる速度も微調整可能なので紙の新聞を読む感覚に相当近づいたと評価されている。マーカーで印も付けられる。新聞全体をデータベースのフォーマットに変換し、圧縮保存する機能もある。後で利用するときに重宝するという訳だ。
    紙の新聞の場合、画像はモノクロになるし(カラーもあるにはあるが)、粒子は粗い。この点は新聞にとって改善の余地がないか、非常に難しい点だ。カラー表示、粒子の細かさの点でホームページの方が優れている。しかし、紙の新聞においては、広告は読むすべての人の目に触れることができる紙上広告であるのに対し、ホームページ上の広告は飛ばされる可能性が大きい。見た人と注文を出す人との割合は、ホームページの方がわざわざ(偶然見た人も確かにいるが)探して見に来た買い手なので高い確率で注文を出すといわれているが。この辺りを調査分析するビジネスが出てきている。
    新聞の広告や雑誌の広告には、電話番号が載っているが、最新のブラウザーではISDN回線を利用している場合、電話番号をクリックすると空いている回線を使って自動ダイヤルできる。相談サービスを受ける場合など、相手の顔を見ながら話せるので意志の疎通が早い。


    ●在宅勤務とインターネット
    200x年5月に出荷されるパソコンの多くには、テレビ電話・会議システムがインストールされているらしい。そうなると、駅まで走り電車に乗って、わざわざ1時間半かけてオフィスまで通勤する必要がないという人も増える。企業にとっては、在宅でも仕事が可能と判断した従業員には、在宅勤務をしてもらった方が通勤コストを削減出来る。たとえば○○企業のAさんは1年前から在宅勤務になったが、30万円の給料のAさんの通勤定期代は30,000円で、企業としては実に給料を1割増しにしているのも同然であったが、これがまるまる削減できたのである。従業員は通勤のストレスを感じることなく、また、往復3時間という時間を浪費しないですむ。浮いた3時間をジムに通ったり、子どもの世話にかけることもできるというので、柔軟な勤務体制の企業が人気企業だ。
    移動のための時間が減ることによって、中身の濃い時間の使い方が可能になる。企業はその様な時間の使い方を前提とした就業形態に移行している。在宅勤務をする人の数は増え、通勤列車の慢性的な混雑は解消されつつある。通勤者は従来の80%程度に減少したという。朝のラッシュでも座れることが多い。そういえば、ホームで乗切れない人の背中を押す職員はもう姿を見ない。鉄道各社は運賃の値上げをしない方針で人員を少しカットしたのだ。
    鉄道会社は最終的にはラッシュ時の列車本数を削った。次は施設の順次縮小が問題となっている。
    結果、列車の本数の減少で化石燃料を燃やす量は間接的に削減された。つまり、列車を動かす電力消費が減り、オフィスの無駄な電力消費が減り、普段使っている家庭内の電力しか消費されないということになった。しかし、オフィス街に出店していた企業は、出勤者数が減ったために、経営の見直しを始めている。普段外に出ることが少なくなった人たちにの間では、休日の遠出がちょっとしたブームだ。ガソリンは自由化で安くなったこともあり、車での旅行は増え、全体的に家庭のガソリンの消費量は増えている。電気自動車の実用化は目前になった。ガソリンスタンドは順々に電気スタンドに衣替えしていくだろう。
    在宅勤務のマイナス面も議論されはじめた。移動することこそ新しい発想を生み出す上で重要なのだという論がそれだ。たとえば、建築士のA氏は駅の階段で老人にはこの傾斜はきついだろうと体感し、新しい駅の階段の傾斜を緩めに設計するよう変更した。これは人間がある駅のある階段を実際に昇ることなしには実現されない例だ。「移動の勧め」という本がベストセラーになっている。


    ●雑誌広告とインターネット
    雑誌という言葉が死語になるかもしれない、と言われはじめたのは200X年頃である。199X年には雑誌とホームページが相互に補完しあうという形態が生まれた。つまり、雑誌の広告では企業自体についての情報はあまり得ることができないが、ホームページと連動させることによって、広告のボタンを押すとその企業のホームページにジャンプすることができるようになっているのだ。雑誌を見てもっと深く知りたいという読者の欲求にうまく応えることができるシステムといえる。このシステムはさらに進化し、雑誌に広告されていた商品を簡単に発注できるようになった。読者は徐々に紙の雑誌をわざわざ購入することを止め、ホームページだけを見るようになりはじめた。出版社の読者誘導は成功し、全読者がホームページの読者に移行した。結果、この出版社は同じ手法を使って全雑誌の全読者を、ホームページへと移行することに成功したのである。広告料金も紙ベースの時代より40%低下した。ホームページをさして雑誌というのはおかしいというので、この出版社は代る言葉を募集している。


    ●チラシ広告とインターネット
    21世紀にもチラシはなぜか廃れない。
    チラシは人間のせっかちな欲望にマッチした媒体だ。チラシを見てから欲望の実現までの距離(時間)は小さい。チラシは限定した地域の客を対象としているので、対象とされた客の欲望を引き付けやすいテーマが表現されている。店の名は何度か耳にしたことのあるものだろうし、店までの距離は比較的近いはずである。欲望を満たすまでの距離は近いのである。しかし、小さくある距離は存在している。チラシを見てすぐに欲しいと思ったその時どうするのか。広告の店に電車や車、あるいは歩いていく。チラシを見てから実際に購入するまでの時間は、数時間、売り出しの期間が長い場合は数日間かかる。欲しいという感情が湧いてから実際に商品に触れるまでの時間が長いということは、その間にいろいろな要因によって購入を取りやめる可能性も出てくる。よりいい商品が見つかったり、より安い店が見つかることもある。まったく他の商品を買おうと心変わりするかもしれない。しかし、一枚の紙面で非常に多くの情報を客に提示できるという点は、ホームページによるプレゼンテーションよりも優れている。紙一枚であるから、折りたたんでポケットに入れ外出もできる。
    しかし、ホームページの反論としては、ホームページの場合は折りたたんでポケットに入れる必要がないということだ。ホームページ上の広告を見た客は、気に入れば即時に注文を入れることができる。外出する必要もないし、注文書を書いて封筒に入れ送る手間とコストはかからない。通信販売なのであるから、実際に商品を手にとることができないため、送られてくる商品が気に入らない可能性はあるだろう。しかし、このような購入方法を選択した人たちはそのリスクをあらかじめ認識して注文している。売り手は品質について充分保証できるものを陳列しなくてはならないが、実際に手に触れないで購入する客が画面だけから抱く印象と、現物との間には差異が生ずる可能性もある。しかし、即時性という点では客は欲望をすぐに実現することができるのであり、売り手は広告の反応をリアルタイムで確認しよりよい商品の品揃えに改善することができる。この点は買い手にとっても売り手にとってもメリットである。


    ●恋愛とインターネット
    会員制のお見合い産業は、このネットワークを使って一気に商圏を広げる。入会希望者は画面上で入会手続きを済ませると、テレビ電話機能で面接が行なわれる。入会が許可されるメールが1週間後に届く。それ以降は1週間に5〜10人の、紹介が受けられる。ホームページで会員番号、暗証番号を入力すると、自分の望む条件に合った相手の写真と経歴が表示される。デートはテレビ電話機能を使って行なうので、希望するテレビ電話デートの時間を指定してボタンを押す。時間が相手と折り合うと、いよいよ画面上でのデートとなる。今回は女性からの要望で、仲人さん立ち会いとなった。画面には相手と紹介会社の仲人担当が写し出されている。経歴や趣味などについては、画面の下に表示されている。デート後の意志表示画面では「イエス」を押した。
    翌日届いたメール「ホームページにアクセスして下さい」という内容で、それ以外のことは書かれていない。当然であるがこのサービスは盗聴を防ぐために、ブラウザーの暗号モードで運用されている。アクセスして暗証番号を入力する。いつもと違う画面の色だ。うまく行ったのか、それとも駄目か。仲人からのメッセージが表示される。「次のデートの連絡を以下の欄に入力してください。あるいは直接先方にお電話下さい。」これはOKということだ。「在宅勤務の諸君にはこれが一番だよ」という課長のアドバイスを聞いてよかった。早速、レストランを決めるために検索を開始した。クリスマスの時期で予約が一杯のところばかりだ。見つかったのはイタリアンで15,000円程度のディナーができるところで4軒ある。この店はメニューも良さそうだ。双方の中間点にある店を即座に予約。これで予約するとワインをサービスしてくれるという。
    在宅勤務者が利用する割合が高いらしい。しかし、流行に疎い彼はいまどきでないネクタイを絞めて行く可能性が高い。そんな彼をサポートするサービスも出てきたりで、手取り足取り、楽なもんだこりゃ。
    しかし、この男、レストラン予約の日を1ヶ月間違えて入力していたために、デートはおじゃん。最後の詰めでミスってしまうのは、昔からの癖で直らない。
    この帰り道、ばったり再会した高校の同級生が今の細君とのことだ。じゃんじゃん。


    ●妊娠とインターネット
    妊娠とインターネットの間にどんな関係がありうるのだろう。ある国の夫婦が不妊で悩んでいた。インターネット上で精子提供会社の広告を見つけ、ここに電子メールでカタログ(なんと「カタログ」である)を取り寄せる。カタログだけで20万円だ。驚くなかれ、そのカタログには世界的な科学者や、経済学者、政治家、運動選手、俳優などの精子が値段とともに掲載されているのだ。妻が「俳優のAなんかどうかしら」、夫はむっとしたが堪えた。「んー、どうかな。」夫はこうして生れてくる子どもが、本当に自分の子どもといえるかどうかについて、まだ自信が持てないでいる。妻が気遣う。「私たちの子どもよ」
    1年間悩んだ末に夫婦は、優秀な精子を「買う」ことになる。このカタログでは「買う」というあからさまな表現はされていない。提供会社はこれが人間のもっとも深淵に触れる問題なのだという深い認識を持っている。「力になる」という言葉がこの会社のモットーである。
    いろいろな検査の結果を精子提供会社に送ったりする手続きの後、ようやく国際クール宅急便で冷凍の鮭のようにして、待ちに待った冷凍精子が送られてくる。他の「顧客」のところに届けられるはずものが、間違って届いたのではないかが気になる。梱包を開けると、証明書が入っている。このサービスには国の免許が必要で、その国の厚生省の輸出許可印が押されている。生れてきた子どもがこの「輸出許可印」を見たらどう思うのであろうか。未来の「いまどきの」子どもは、意外にクールに受け止めるのだろうか。自分はコウノトリが運んできたのではなく、宅急便に運ばれてきたのだというイメージは、人間の尊厳を打砕いてしまうものではないか。たとえ両親が納得していたとしても。
    インターネット時代の倫理はどうなってゆくのか。


    ●教育とインターネット
    確かに世界中のコンピューターに蓄積されている情報を自由に利用出来るインターネットの思想は素晴らしい。だが、明るい面には必ず裏側の面もある。
    子どもに見せたくないものも、インターネットでは簡単に見えてしまう。これはインターネットの普及初期、つまり199x年から問題視されてきた。いろんなソフトやハード的工夫がされたため、かなり改善されてはいるが、コンピューターに関する知識が豊富な中学生あたりは、プロテクトを外して好ましくない情報にアクセスしている例も多く報告されている。そういう情報を発信しているサイトに対して、厳しい規制が行われている。この動きは表現の自由を奪うものだとして激しい議論になった。そこで、ブラウザーは新しい機能を備えた。使用の際には、本人のアドレスから住民データベースを検索、本人の年齢を確認し、ユーザーレベルを自動的に設定する。このレベルに応じて、入れるサイトと入れないサイトを決定するというものだ。今のところは、他人のアドレスと暗証番号を使えば自分のユーザーレベルを偽ることができるが、200x年には網膜判別システムが実用化され、パソコンに接続されたカメラに目を近づけるだけで、本人確認ができるようになる。これにより、ネットワーク上でのすべての言動には、個人が充分責任を持つ必要が高まる。
    インターネット自体については、ネットワークの機能を高度化するために、仕様を変更すべきだという意見もある。しかし、今のところはサーバー側、クライアント側の受け口の部分で機密性を高める方法が現実的ともいわれる。


    教育自体の意味は変らない。教育は社会へ出る前の人に対して、社会で受け入れられるための基礎を教える。社会の基本的しくみ、文化、習慣、国語、マナーなどだ。ネットワーク上の知識をかき集めるだけでは、この基礎は完成しない。それを完成させるためには、知識と知識の文脈を説明する教師の存在が不可欠なのだ。教師が子供とどう関わってゆくか、接する時間をどのように作ってゆくかが問われている。テクノロジーに負けないように生身の教師が頑張らなくてはならない。
     
    さて小学校はどう変化しているか。子どもの感性を伸ばす方法として、ネットワークではない現実の世界の見方を教育する重要性がいわれる。また、日本語と英語のバイリンガル教育が進んでいる。

    中学は社会に通用するマナーを完成させるところであり、また自国の歴史に対する認識とバイリンガル教育を更に強化している。

    高校は社会へ出る前の基礎の総仕上げ。課題の研究方法を体得。ネットワークの高度な利用方法を学習し、国内のみならず世界の高校ネットワークでディベートの技術を学ぶ。

    大学ではすぐに専門過程に入ることもできる。2年生にして高いレベルの研究成果を出す学生も少なくない。
    毎月1回のオフライン・ミーティングではクラスの皆が顔を合わせる。

    インターネットを利用して、日本の大学のみならず世界中の大学の講義を受講できる環境が整いつつある。これには講義の内容すなわち画像と音声をカメラ、マイクで拾い、インターネットに乗せる設備が必要であるため、いまのところごく一部の大学のごく一部の教室で行なわれる講義についてしか実現されていない。また、亡くなった教授の講義が時間割に出ているので面食らう学生もいるが、実は亡くなった教授の講義を「受ける」こともできる。電子講義録なるものができたからだ。この講義録は映像ベース、テキストベース、音声ベースから好みの形式を選んで閲覧することができる。ゼミ以外の講義はすべて電子化されて保存されているので、受けたいが別の講義と重なった場合は、講義は自分の都合のよい時間に、自宅のモニターで受けられる。受講完了すると「出席」の電子印を受取る。出席の印が足りないものは、試験を受けることができない。
    試験はすでにほとんどが、教室の端末から入力して回答する形式に移行した。
    試験だけは同日同時刻に1回だけ行われる。ブラウザーはカンニング防止のための機能を備えている。試験結果は電子メールで返される。大学の数は少子化の影響もあって減少しつづけている。早晩、大学が一つになって、入試自体はなくなり、卒業するときの評価の数値だけが尊敬の対象となる。
    大学の数は減りつづける。研究者は統合合併された大学に席を移す。インターネットを利用することで、基本的に研究者はどこにいても研究ができるようになったが、学生に講義をする必要があるため、大学には通勤する必要がある。講義の後の電子メールは人気のある先生ほど多い。教室には20人しか出席していなくても、他の大学の生徒が受講しているからだ。1回の講義毎に300通の電子メールが送り付けられる先生は、メールの整理と返事をかくので5時間を費やす。世界相手の講義を受け持つ先生になると、講義後は助手がてんやわんやの大騒ぎらしい。日本語で送られるメールばかりではないので、処理にかかる時間は並ではない。しかし、研究が活性化したと評価する教授がほとんどである。

    生涯教育というコンセプトは、大学の講義が社会人向けに開放されることによって、いよいよ充実した内容になってきた。高校卒業後大学に入らず、興味のある講義だけを選んで社会人枠で受講するケースも急増している。通信教育の充実も著しく、受講者数も倍倍で増えているという。こうした受講者の中から第一流の研究成果を出す人も出てきた。


    ●健康とインターネット
    インターネットのある暮らしは便利だが、われわれの健康は損われている。椅子に座っている時間の長いAさん(32才)は、脚の筋肉が衰えてお爺さんのような立ち姿になった。ひざが真っ直ぐ伸びず、腰がわずかに曲がっている。ある日、大きな鏡に自分の姿が映ったのを見て愕然とした。奥さんの言葉に従って、毎日プールへ通っている。「人間が情報で生きているのでなく、肉体で生きていることを実感した」という。少々大袈裟な表現だが、わかる気もする。

    Bさん(68才)の場合は、少し深刻である。毎日の散歩で、悪い足が直りかけたところに、インターネットを利用し始めたものだから、とたんに閉じこもりがちになった。奥さんは4年前になくなり、話し相手がなくなったBさんには、ネットワークが恰好の話し相手になったのだ。交流は増えたが、脚はみるみる弱くなった。ついに車椅子に乗るようになって、全く外出しなくなってしまった。ネット上で彼の体を心配する人は大勢いるが、家まで見舞いに来てくれる人はほとんどいない。ネット囲碁で知り合ったCさん(64才)とは、再婚の約束を交わしたが、車椅子のことをいつ話そうか悩んでいる。

    Dさん(90才)の生活はこれぞ21世紀の老人像だ。失礼かもしれないが、驚かざるをえない。WINDOWS9Xが発売された年は、パソコンブームに火がついた年として記憶されているが、Dさんもこの時にはじめてキーボードに手を触れた一人だ。だから、パソコン歴は十年あまりになる。ぼけ防止にとはじめたパソコンだったが、今では知る人ぞ知るホームページ上のご意見番だ。同世代の老人から電子メールでよせられる悩みや相談は、毎日100通にのぼるが、一通一通に心のこもったアドバイスを送る。また、若者にむける老人からの意見を掲示するホームページ「こらー、なんばしょっとか!」を公開し、議論に参加する人は1日200人と盛況だ。Dさんいわく「老人は所詮老人であって、われわれが正しいと思って何を言っても、若い人の方はそれを超えた常識で行動しているのだから。しかしねえ、これをはじめてから、久しぶりに真面目に怒ったり、大笑いしたよ。なんだか、うれしい限りだね。」議題になるのは、政治、仕事、恋愛、健康、ショッピングなどなど。このホームページで話題になったある健康器具は、1週間で受注を3倍に増やした。「税金の議論もあるから、たまには代議士さんも覗いてくださいよ。」取材に応えてくれたインターネット電話の画面上のDさんは、しゃきっとした背筋で溌剌としていた。

    Eさん(20才)は学生で、カメラとマイク付きのパソコンを買う余裕がない。そのため、テレビ電話機能が使えないので、電子メールでいわば筆談ばかりをしている。一人暮らしの彼は、買い物に出かけてお店の人と二言三言交わす以外は、まったく話をしていないのだった。大学には通わないでも調べ物ができるし、授業は電子講義録になっているので後で読めばよい。そのうえフランス語ばかりで筆談するので、自国語を使わない毎日である。ある日のこと、停電でパソコンが使えず、紙にメモを書こうとして、自国語が書けなくなっているのに気づいた。
    「これは一種の病ではないか」 紙に書きつける訓練が必要なことはわかったが、停電が回復すればまた紙を使わない生活に戻ってしまうのだ。「文部省が悪いとかいう問題ではなくなってきているなあ」と溜め息をつく。これは健康といえるのだろうか。


    ●保険とインターネット
    インターネット上で車にはねられることはないにしても、なんらかの事故に遭う可能性はある。こんな事故に適用される保険が商品化された。その名も「ネットセーバー200x」。毎月の掛け金は個人の場合XXX円。安いといえば安く、高いといえば高い。企業向けと個人向けがある。個人向けは200x年から年末調整の控除対象となる。「これなしでは、恐くてネットを歩けない。」というコピーは5分に1回インターテレビを流れる。熱帯雨林の中にスーパーモデルが分け入ってゆくこのコマーシャルは、最後に森林保護も説いている。掛け金の一部は森林保護に活用されるらしい。最近はこうした活動が「信用できる」企業のイメージアップ手法になってきた。このコマーシャルは新仕様のブラウザーを使うと、モデルの名前も表示でき、関連グッズのボタンを押せば写真集を購入することもできる。写真集は1500円で納期は1ヶ月となっている。おそらく人気殺到で客のコンピューター向けに送信するプロセスが混んでいるのだろう。当然、保険加入のボタンも現われるが、このコマーシャルでは保険そのものに入るよりも、写真集の方が売れるのではないかと思わせる。


    ●給料とインターネット
    インターネット時代の給与体系はどうなったのか。われわれの給料は上がったのか、下がったのか。これは秘密にしておこう。


    ●キーボードとインターネット
    199x年にはこんな新聞記事があった。
    「コンピュータの前に座って、意外に簡単に操作できるのだという印象を持った人と、ディスプレイの前で体がこわばってしまう人との間には大きな差があって、日本人の場合、タイプライターの文化がないために、キーボード恐怖症が潜在的にこの差になっている。これがコンピューターが売れはしても、十分に使いこなせない要因の一つだ。また、キーボードで打ち込んだそのままで文書になる欧米語と違い、日本語は漢字変換という余計な操作をすることも操作の難度を上げる要因だ。うまく漢字に変換されなかったり、変換候補にない漢字を入力しなくてはならないという場面に出くわして、はたと困ってしまうのである。大抵の場合、初心者なら1時間くらいは作業がストップするだろう。これは日本人がどうしても超えなくてはならないハードルである。これを超えなければパソコンを使うことはできないといっても過言ではない。マウス操作で簡単になりましたよ、などという宣伝の文句が今でも使われているが、満足に使うにはこうしたキーボード操作は不可欠だ。
    インターネット時代に日本人は英語の能力をつけなくてはならないということも言われる。しかし、漢字変換がいくらいやでも、英語をタイプするよりはましだろう。」 しかし、今ではキータイプが苦手という奇特な人がいたらそれこそ記事になる。


    ●介護サービス・在宅医療とインターネット
    超高齢化が進み介護を必要とする人口は急増している。しかし、介護に携わる人口がそれと同率で増えることはない。インターネットはこの状況で何ができるか。テレビ電話にもなり買い物を依頼するメールも送れるこの便利なネットワークは、端末の操作方法をさらに改善することで老若問わず使いこなす人口を増やしてきた。
    21世紀の介護は介護集中センターが各患者の状態を24時間体制で監視している。寝たきり患者のリアルタイム画像のみならず、皮膚に密着させた無線の血圧計、体温計などが発する信号を家庭の端末が受信しセンターに送信し続ける。センターではこれらのデータをモニタリングし、病状に変化が起これば自動的に警報が鳴って、救急隊員が駆けつける。未来のセキュリティーシステムはホームセキュリティーシステムが不審者の侵入を知らせたように、人間の体内の異常を知らせる。さらに、血圧計や体温計自体の異常を検知することもできなくては信頼性に欠けるというので、新たな医療機器の開発がはじまった。
    日本でも既に薬などを宅配するサービスが普及した。患者の担当医師の指示のもとに、薬剤の宅配と看護婦の訪問看護を提供されている。患者は薬だけをもらうために病院へ行き、待合室で長時間待つことはない。結果、患者の生活に占める通院の時間は大幅に削減され、生活の質は格段に向上した。


    ●句会とインターネット
    200x年桜咲く4月、ある公園に携帯端末を携えた5人が集まった。彼らはこれから吟行を始めるというのである。句が浮かぶと携帯端末に向かってキーをたたく。数時間後、部屋に集まった彼らは、携帯端末でインターネットに接続した。そこにははるか離れた山中で吟行を行った6人の人達の顔が映し出されている。異なる場所で同時刻に吟行を始め、同時刻に批評に入るという訳だ。かつて衛星放送でなければできなかったことが、このように手軽に実現できてしまうのだ。
    メーリングリストなども使いながら、句会は全国レベルで活発に活動している。


    ●法律相談とインターネット
    普段なかなかできない法律相談であるが、ある法律事務所がホームページ上で相談サービスをはじめたのをきっかけにばたばたと始まった。相談時間に応じて課金されるシステムだが、あらかじめ料金設定が明確になっているので、あまり心配することなく相談を受けられる。ブラウザーによっては課金額を刻々と表示できるものもあるので、心配症の方は利用するとよい。相談中の映像、音声、提示された資料などは、そのまま記録して後々の参考にすることもできる。


    ●健康とインターネット
    誰もが日常的にコンピューターを使うようになれば、電磁波の健康に及ぼす影響は大きく取り上げられ、問題は深刻になるかもしれない。コンピューター本体、ディスプレイからなど電磁波は常時人間の体に当たりつづけ、被曝が大きいと何らかの影響が出るといわれる。
    こういった生活環境の変化への対策として、防磁材質や電磁波を発生ない材料の研究開発が本格化する。人間の体を電磁波からいかに守るか、がひとつの産業となる。


    ●本人確認の技術
    指紋、声紋、虹彩、顔の血管の配置などを本人のものと照合することによって、本人確認ができる。この技術は認識精度が高くなり小型化低価格化することによって、出荷されるコンピューターの標準仕様となり、あらゆる社会システムの基本をかたちづくるだろう。
    このシステムによって暗証番号を入力する必要はなくなる。本人がコンピューターの前に座り、認識装置に本人証明をしてもらえば、それでログオン完了だ。この認識装置で入力された個人の識別情報は、高度な暗号に変換され政府の本人確認サーバーに伝送される。政府のサーバーから確認完了の通知が届く。この通知もまた高度に暗号化されている。この意味で本人確認をローカルレベルで行なう場合なら、暗号化は関係ないのだが、ネットワークを通過させるやり方ではやはり最後の砦は暗号そのものということになる。各個人に固有の虹彩だといっても、認識結果が盗聴されるようならば、このシステムは脆くも瓦解する。かつては解読のためにスーパーコンピューターで1ヶ月かかった暗号も、ハードウエア性能の飛躍的向上で、今のパソコンを使って30分とかからない。


    ●文化事業
    これまで商業ベースに乗らないという理由で、CD化などされることのなかった純邦楽や民謡、神楽などがインターネットを通じて無料で提供される。
    これらの資料や録音録画は国の文化資料保存機関や地方の博物館、個人が保存するのみで有効に活用、享受されることがなかった。インターネットを通じて公開するという方法は、これと同じように商業ベースで成り立たなかった文化の保護を、側面から支援するシステムになりうる。十分に高速化された回線でサービスが行なわれれば、音声、画像を全世界の研究者や愛好家が閲覧することができるようになる。


  6. その他
    テレビは告知向き、雑誌は訴求向き、といわれてきたが、インターネットでは流しっぱなしのテレビのような機能も出てくる。つまり、訴求してきた雑誌はホームページに取って代わられ、インターネット上のテレビ機能は告知と訴求を兼ね備えるようになる。
    告知するためには、面白いページをセレクトして次々に流してくれるサービスが生まれる。間にはコマーシャルも入る。いかに「面白いページをセレクト」できるかが、視聴率を左右する。
    こうした傾向はホームページの動画化、音声化を促進する。テレビ対応のホームページとなれば、既にそれはひとつの番組である。
    動画化、音声化のためのオーサリングツール、それで作成されたページを見るためのブラウザーの開発競争は活発となる。最終的には高画質テレビの機能として標準的にブラウザが内蔵され、インターネットはテレビを吸収してしまうだろう。



  7. まとめ−ブラウザーの実現すべき機能の重要性−
    これまで見てきたようにインターネットは社会に様々な影響を及ぼしてきたが、解決すべき問題も多い。とりわけブラウザーの機能の高度化なくしては解決できない問題もかなりある。今後はブラウザーの機能がこれまでの社会の中で現実にあった機能を代替えすることになるし、新しい概念を表現しまた処理することも求められる。この分野の研究は困難な道ではあるが、ソフトウエアの中で最も成長性のある分野だといえよう。どんなブラウザーができるかでインターネットの利用価値も変ってくる。極言すれば、それによって社会の構造が変ってしまうかもしれない。
    日本の企業はこの分野を研究すべきである。独自の仕様であろうと、日本の文化に根差した使い方をする部分で、普及させることは可能なはずだ。



  8. あとがき

    これを書き始めた頃はまだ実現されないだろうと思っていたことが、日々実現されていくという時代。200x年を待たずして、ここに書いたほとんどが現実となるのかもしれない。脳化のスピードは驚くほど速く、人間が実生活に適用するスピードをはるかに越えているといった感じすらある。しかし、未来を予見しリスクを回避する手段を暗示してくれるという意味では、脳化のスピードは速いほどいいに違いない。
    このように技術は進歩する。けれども人間の進化は遅い。これが大きな問題だ。最先端の技術を使いこなす人間のほうは、革新しようのない古い部分を棄てることができない。MS−DOSにおける640KBの呪縛のように。その呪縛が良いとか悪いとかいうのではない。それを基盤として試行錯誤するということだ。インターネットの時代となることは、とりもなおさず個人の発言力・影響力が増大する時代の到来を意味する。そこで最終的に人間が最も頼らなくてはならないものとは何か?また、信じる一方で戦わなければならないものとは何か?
    モラルだ。モラルを頼りにし、モラルを信じ、またモラルと戦わなければならない。
    哲学を気取ればこうなる。しかし、ネットワーク上で負わなければならない様々な責任を、敢えて負う人もいる一方、何故そんな必要があるのか、私は責任など負わないという人もいる。ネットワーク上の常識では、今のところ責任を負えない人は使うべきでない、あるいは発言すべきでないという雰囲気であるが、普及率が高まると責任を負わない参加者でも許さざるをえない方向に向かうだろう。現在のある意味では厳格な敷居は、低くなってゆくだろう。それは、人間の営みの一部が確かにこの中で行われるようになった証拠かもしれない。


    関連ドキュメント:インターネット時代の欲望とモラル

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